徒然

映画や演劇をみるひと

みんな我が子 ナショナルシアターライブ

『みんな我が子 All My Sons』

作・アーサー・ミラー

演出・ジェレミー・ヘリン

出演・サリー・フィールドビル・プルマン、ジェナ・コールマン、コリン・モーガンほか

 

 

あらすじ

 

第二次世界大戦直後のアメリカ。舞台は主人公の中年男・ジョーの家の庭。

彼には妻と二人の息子がいて、自営業を営んでいる。兄クリスはジョーの仕事を手伝っているが、弟のラリーは兵隊に行ったまま音沙汰もなく3年の月日が経っていた。ジョーとクリスはラリーのことをもう諦めているが、母親であるケイトは未だにラリーの帰りを信じて待っている。

また、ジョーは3年半前とある事件によって裁判にかけられたが、無罪判決を受けた過去がある。しかし、同時に裁判にかけられた同志は有罪判決を受け、未だに投獄されたままである。

ある日、クリスに呼ばれてラリーの元恋人・アンがやってくる。実は、アンは有罪となったジョーの同志の娘であり、そんな彼女の来訪が、平和に見えたジョー一家の嘘を暴きだすきっかけとなり…。

 

 

 

NTL最近観ていないな、とふと思ったので、間を見つけて鑑賞。恵比寿ガーデンプレイス内のユナイテッドシネマにて。プレイス内でめちゃくちゃ迷って時間ギリギリに滑り込んだ。

 

 

現代イギリス演劇における最高峰を、スクリーンで体感した気分だ。

やはりまず戯曲が素晴らしい。

『All My Sons』は未読であったが、ドラマの豊かさと大胆さ、それでいて繊細に描かれた人間模様、そこから浮かび上がってくる強烈な社会批判…さすがアーサー・ミラーである。

アーサー・ミラーはどこにでもいるような人たちを描き、誰にでも起きうるような小さな出来事を描く。それは観客に大きな共感を呼ぶ。しかしアーサー・ミラーの凄いところは、その小さな出来事をいくつも舞台上に起こらせて、それらを緻密に積み上げ、観客を極限まで引き寄せてから、想像だにしないようなドラマを最後にぶち込んで観客を突き放すところだ。

鑑賞後、観客はそのショックを胸に抱えたまま劇場を出るだろう。そして自ずと今観た作品について考えを巡らす。すると自分が共感しながら観ていた小さなシーンやそこでの会話が、最後の展開に影響していたことを知り、それが自分たちの生活にも起きうること、実際起きていること、そしてそれを批判されていること、といった戯曲のもつ含蓄に気付くだろう。

そこから先の影響はクリエイターがどうすることもできない、観客のパーソナルな問題だ。個人が、社会が、少し優しくなるかもしれないし、楽しくなるかもしれないし、もっと悪くなるかもしれないし、何も変わらないかもしれない。

でもとにかく、これ以上ないほどの演劇体験を提供できる力を、アーサー・ミラーは持っている。それを身に染みて感じた時間だった。

 

 

しかしもちろん、演劇というものは作家アーサー・ミラーの力だけで完成するものではない。

今回のNTLの『みんな我が子』は、スタッフワーク・役者陣ともに素晴らしかった。彼らそれぞれの力が作用しあってこそあんな作品になったのだろうということを、どのシーンを見ても感じさせてくれた。

 

 

特筆すべきは照明だ。

派手ではない照明に感動したのははじめてかもしれない。

とある日の午前中から真夜中にかけてが舞台だが、その時間ごとに雰囲気の変わる自然さ、照明によって変わる俳優の表情の見え方…。シーンの持つ意味を忠実に理解し、戯曲・俳優・セット全てを深化させる、縁の下の力持ち的な照明だった。派手ではないが、全てをより良く魅せている。なんてスタイリッシュなんだろう…。

 

 

役者陣ももちろん素晴らしかった。

戯曲自体の読み込み、自分が演じるキャラクターの読み込み、関係性の読み込みが全員とてつもなく深い。

「そんなの当たり前だろ」と思う方もいるかもしれないが、役者は往々にして独りよがりになってしまったり、全員が少しずつ違う方向を向いていたり、戯曲が求めているほど深く読めていなかったりすることがある。そのあたりのバランスを取るのは本当に難しいのだ。

その点今回の役者陣は、個々人の読み込みが深いのはもちろん、ひとりひとりの向かっていく方向にズレがなく、お互いがお互いに作用しあって、とてもまとまりのある作品を作っていた。これに関しては演出家のディレクションが素晴らしかったのだろうとも思う。

 

 

何にせよ、実のある小さな積み重ねを目の前で見せられて、

きっと戯曲が求めている以上に観客を引き付けてくれて、最後のシーンを迎える頃には自分が舞台上にいる人間かと思うほど没入して観ていた。

最高の演劇体験だった。いつか本場で、生で観られたらと思う…。

 

 

 

2020.1.