徒然

映画や演劇をみるひと

『少女仮面』 世田谷パブリックシアター提携

『少女仮面』

作・唐十郎

演出・杉原邦夫

出演・若村麻由美 木﨑ゆりあ 大西多摩恵 武谷公雄 井澤勇貴 水瀬慧人 田中佑弥 大堀こういち 森田真和

 

 

あらすじ

地下に妖しく店を構える喫茶”肉体”。

そこに、宝塚の大スター・春日野八千代にあこがれる少女・貝が老婆と共にやってくる。

そこには主任の男、二人のボーイがいて、他にも喫茶には腹話術師と人形、水を飲みたがる男がやってくる。

喫茶肉体で亡霊となって漂い続ける春日野は、いつまでも自分の肉体を探し続けている…

 

 

 

役者陣が裏方服に身を包み、舞台上を片付けたり必要なセットを設置したりするところから舞台は始まった。この”現実”から”嘘”を作り上げている様子を最初に見せる演出が、最後春日野が肉体への羨望を自分から切り離したところで、一気に”嘘”から”現実”に引き戻す演出に繋がっているのが、なかなか残酷で面白かった。

『少女仮面』は戯曲を一度読み、今年小さい舞台で上演されていたものを観たが、今回の『少女仮面』はかなり整理された演出で、あの分かりにくい戯曲をよくぞここまでわかりやすく描いたな…とも関心。照明や演技の要所要所の粒立てにより、「あ、こういう意味だったんだ」と初めて気づいた部分もあった。

 

ただ、やはりこの戯曲は狭すぎるくらい狭い箱が合うのだと感じた。

地下の秘密の喫茶店が舞台となっているが、今回のようにプロセニアムのちゃんとしたシアターではその閉塞感がなく、不穏さや異様さ、こんなに小さな世界で春日野が肉体を求め続けているという不条理さがなかなか前面に出ていなかった。

アングラ演劇として描かれた作品はこの部分が難しい。

 

 

難解な戯曲が演出によって整理されておりわかりやすかったと前述したが、これもまた良いことなのかどうかと聞かれると難しい。

というのも、春日野をはじめとして、主任、水飲み男など、この戯曲には整理しきれない怒りや悲しみを抱いている人たちばかりが出てくる。故に、戯曲の要求している言動・行動は、理性的に整理しながら創ったり演じたりしていてはたどり着けない部分にあるのだ。

 

俳優の山崎努氏が自著『俳優のノート』の中で、「(自分が演じる役の)分からない部分を、分からないままにすること。人間には一貫性がなく、本人としても分からないままに感情が動いたり、何か言ってしまったりすることがあるのだから。」というようなことを書いていたが全くその通りだと思う。

創り手として分からない部分を分からないまま残すことには勇気がいるが、理性でどうにもならない部分をヨイショしてどうにか演じることにより、また違ったエネルギーが客席に届くのだと思う。「没入感情の先に超越があることを、サラヴィーダは知っていた!(劇中台詞)」だ。

今回の戯曲にはその部分が必要だと思うのだが、今回の『少女仮面』は良くも悪くも整理されていて、「あーそういう風にやりたいのね。じゃあそのように受け取ります。」と、こちらも大分引いた目線で観ていた感覚がある。

 

 

しかしとにもかくにも、唐十郎氏による『少女仮面』、やはり戯曲が素晴らしく、見応えがあった。

当時の社会情勢や社会批判が密度高くドラマ性高く描かれており、エンタメとしても芸術としても第一級だった。もう一度読んでみようと思う。

 

 

 

2020.2