徒然

映画や演劇をみるひと

「目頭を押さえた」PARCOプロデュース

「目頭を押さえた」

 

作・横山拓也

演出・寺十吾

出演・筒井あやめ(乃木坂46)、秋田汐梨、林翔太、枝元萌、橋爪未萠里、大西由馬、山中崇梶原善

 

 

あらすじ(公式HPより引用)

 

 畿央地域の山間にある人見(ひとみ)村。衰退の一途を辿るこの村の林業と、この地で古く から行われてきた喪屋(もや)における葬儀。この2つの伝統を担ってきた中谷家と、8年前に都市から越してきた杉山家は親戚関係にあったが、杉山が葬祭コンサルタント業を人見村に持ち込んだことで、家族間の溝は深かった。ただ、同い年の高校生の娘たちは、子どもの頃から親友のような存在である。

 杉山の娘・遼は、母の形見である一眼レフカメラを愛用し、村に暮らす人たちのポートレートを 「遺影」と称して撮影してきた。中谷の娘・修子は、遼の写真が大好きでいつも率先してモデルになった。そんな修子と遼が迎えた高校三年生の夏。

 この小さな田舎でセンセーショナルな出来事が起きる。それは、村に暮らす大人や子ども、すべての無名人たちの未来を、哀しみを伴う希望で包んだ。

 

 

 

 

 

小さな村、人見村の中でも特に「伝統にうるさい」といわれる中谷家の、現当主である中谷元は、神聖な領域である“喪屋”を姪が暗室として利用しようとすることをなんだかんだ許可したり、この村を出ようとする姪っ子の未来に対するサポートを、村のだれよりも積極的に行なっている。

 

結局「伝統的」であるだとか、「小さな村」であるだとかいう呪縛に囚われているのは周りの人間である。ある種、自ら勝手に囚われていっているのである。

 

このあらすじで「センセーショナルな出来事」と称されている出来事は、その中谷家の当主が落下事故で突然の死を迎えるという事件のことをさしているのだと思われる。そしてそれは、この芝居のいっとう最後で起こる。

 

そこからの展開は秀逸であった。

 

8年前に人見村に越してきた、中谷家当主の姉婿である杉山は、葬祭コンサルタントとして、

伝統的な人見村の葬儀方法ではなく、家族葬など、時代に合った規模の小さい葬儀方法を人見村に持ち込んだ、いわば「この村の伝統を壊したもの」として扱われている。

その杉山が、

「人見村の葬儀(方法)で送ります」

と中谷家当主の葬儀の仕切りを買って出る。

その残酷すぎる「伝統的」な葬儀方法を、「伝統」にのっとって、次期当主である長男の一平に任せる。まだ中学生の一平は、そのあまりに残酷な葬儀への介入を、泣きわめきながら拒否するが、家族が見守る事しかできないなか、杉山の支えのもと、遂にやりとげる…。

 

「伝統」に勝手に縛られている人たちが、「伝統」より個人の想いや未来を尊重していた人の葬儀を、「伝統」を壊しているとされる男の指導のもと、「伝統」的な方法で行うのである。

 

興味深いのは、その「伝統」的な方法での葬儀を終えた後、杉山と一平は明らかに人間として一皮剝けて、背負うべきものから逃げずに向き合うようになった様が描かれていることだ。

「伝統」に苦しめられていた二人が、「伝統」によって人として大きくなる。その皮肉とも違う、さわやかに裏切られるような展開には、やはり横山氏の筆の妙を感じる。伝統を創り上げてきたきた人間や、その伝統の成立過程(真意ともいえるか)を理解できず、それに縛られるしかない人間、小さな田舎村で閉塞的になっていく若者、逆にそこから飛び出そうとする若者…すべての人間を、「本当、どうしようもないよね」と、へらっと受け入れながら、野放しにしておいてくれるような軽やかさがある。そしてその軽やかさが、登場人物たちのこれからや人見村のこれからについて、観客の想像力をむくむくとかき立ててくれる。

 

 題名である「目頭を押さえた」、これが過去形であることに、観た人は全員、「押さえた」後の彼らの未来に少しの希望を感じるのではないだろうか。

 

 

 

 

主演の高校生二人を初舞台の若い二人が務め、周りをベテランが固めるという形も功を奏していた。iakuでは絶対にありえない、演者の出自の幅が広いキャスティングは、横山拓也の世界をより分厚く豊かにしているといえる。

 

寺十の演出も、その人間模様の捉え方の緻密さが客席にまで伝わってくる。大味に描いてしまうと大変芝居くさくなるであろう戯曲を、繊細かつリアルに立ち上げ、しかしドラマ性は充分に感じられるというそのバランス感覚のよさに唸った。

 

スタッフワークで特筆すべきは照明だ。木漏れ日注ぐ田舎村の古い家の情緒をよく引き出していた。ところどころ役者の顔が見えづらい部分が多かったのは確かだが、シアターイーストほどの大きさの劇場であれば、俳優の息遣いやちょっとした動きで読み取れる情報が多い分、顔がちょっと見えなくても、舞台全体を一枚絵としてみたときの美しさやシーンとしての説得力は素晴らしかった。

 

 

横山氏と寺十氏の相性がとても良いことにきづけたのが何よりの収穫だった。

 

 

 

 

2020.6.29.