タージマハルの衛兵 新国立劇場 シリーズことぜんvol.3
『タージマハルの衛兵』
作:ラジヴ・ジョセフ
訳:小田島創志
演出:小川絵梨子
出演:成河、亀田佳明
シリーズことぜんの第三作。
大好きな俳優ふたりによる二人芝居ということで、何がなんでも見ると決めていた作品。
あらすじ
場所は1648年のムガル帝国・アグラ。
二人の下っ端衛兵が、大きな壁の前に立ち、警備をしている。
その壁の向こうには、建設途中のタージマハルがある。時はそのタージマハルの完成お披露目の前日。
「この世で最も美しい建設物である」
と謳われながらも、
「建設期間中は誰もその姿を見てはならない」
と皇帝シャージャーハーンによって定められているため、まだその姿を見たものはいない。
警備についている二人は昔からの親友であった。警備中は私語をしてはならないと定められているにもかかわらず、タージマハルお披露目をついに明日に控え気分が高揚していたバーブルは、隣で警備を全うしているフユーマーンに話しかけてしまう。
夜長の取り留めもない会話の間に、
国や権力が作用し、
二人の運命は、二人が予想だにしなかった方へ向かっていく…。
空想家で、なぜ?を考え続けるバーブル。
現実主義で、権力に従順なフユーマーン。
全く違うふたりだが、小さい頃からの仲であり、現在は"建設中のタージマハルの警備"という同じ仕事についている。
壁の後ろのタージマハルや、
私語厳禁というお達しが意識される中、
二人は過去や空想や皇帝やタージの建築士や自分たちの生活について話し続ける。
次の場で、「タージマハル建設に関わった二万人の両手を切り落とせ」という皇帝から命ぜられた任務を全うした後、
バーブルは「美を殺したのは自分だ」と訴える。
一方フマーユーンは、「俺も殺したが仕方がなかった」と主張する。
「終わったことだ」と自分とバーブルを納得させようとするフマーユーン。
そんなフマーユーンに「想像しろよ!」と詰め寄るバーブル。
そこには個人が個人を想うごく当たり前な感情と、
それをせき止めんとする権力の作用、
国に生きる個人としての葛藤がうずまく。
二人は最終的に最悪な形で道を違えるのだが、
ラストシーンで一人、タージマハル警備を続けるフマーユーンは、
二人の運命を決めた責任の所在を国にも自分の中にも見つけ出すことができず、見つけようともせず、ただ心に重い鉛を抱えて立ち続けているように見える。
その姿は私たちに、「わたしだったら、どうしていただろう」という問いを自然と突きつけてきた。
とにかく、二人の俳優の会話の緻密さが凄まじかった。
脚本もここまで書くか!というほど細かいし、演出も何一つ見逃さない細かさなのに、それについていっていた二人の俳優が本当に凄まじい。
前を向き直立していたり、ひたすらに床掃除をしなければならなかったり、という身体的制約があるにも関わらず、積み重なっていく二人の間の時間や空気には何一つ嘘偽りがなく、観客は目の前で起こる出来事の一つ一つを新鮮に受け取っていた。
舞台美術もシンプルでありながら大胆な仕掛けが施されており、場ごとの雰囲気がガラッと変わる。照明や音楽も相まって、転換の際にもいちいち演劇的な興奮を味わった。
プロフェッショナル達がお互いに何一つ妥協なく創りあげた作品は、ここまで圧倒的に観客を消費者にさせてくれるのだと感激した。
こういうものをもっと観たいし、観てほしいし、創りたい。
2019.12.25.