徒然

映画や演劇をみるひと

リーマン・トリロジー ナショナルシアターライブ

『リーマン・トリロジー

作・ステファノ・マッシーニ

翻案・ベン・パワー

演出・サム・メンデス

出演・アダム・ゴドリー、サイモン・ラッセル・ビール、ベン・マイルズ

 

あらすじ

1844年リーマン家の三兄弟が、ドイツから自由の国・アメリカにやってきた。

布や少しの衣服を売るだけだった兄弟の小さな店は、やがて綿花売買の仲介を行うようになり、事業は拡大の一途を辿り、ついには投資銀行となったが…。

2008年のリーマン・ショックが起こるまでの一家の栄光と衰退を描いた、リーマン家の三代記。

 

 

 

 

『みんな我が子』を観てから、NTLは見逃せないと思っていたので、合間を見つけて最終日になんとかすべりこんだ。

途中二回の休憩は挟むものの、上演時間3時間50分を、俳優三人のみで惹きつけ続ける凄まじさ。『みんな我が子』を観たときも感じたが、役者の基礎体力…というのか、とにかく力量に度肝を抜かれる。

もちろん3時間50分を俳優のみで持たせていたわけではない。今回のNTLも引くほどスタッフワークが素晴らしかった。四人目の出演者、と演出家に言わしめたピアノ奏者をはじめ、作曲者、舞台美術、舞台装置、衣装、照明、映像…どのセクションにもとんでもない職人魂を感じて終始感動していた。

 

話としては、リーマン家の歴史が良く分かったなあ!という感想に終始してしまった。

これは単純な私の好みだが、歴史的出来事をつなげて描いた(だけの)作品や、創作にしても史実にしても誰かの一代記を描いた作品が苦手なので、あまりピンとこなかった。どうやら、歴史ものや一代記ものは、描かなければいけないエピソードが多い分、ひとつひとつのエピソードは薄くなってしまい、その人の人生をサラっと流してみているような気にしかなれないのが合わないようだ。その中の一つのエピソードだけで、一つの作品ができるほど様々なドラマが存在しているはずなのに…と思ってしまう。

故に、個人的に今回の『リーマン・リトロジー』は、戯曲が描いている内容が、移り行くアメリカの情勢と共に変化していったリーマン家(リーマン・コーポレーション?)の盛衰をなぞっただけに思え、薄く感じてしまった。

 

ただ、戯曲の内容はさておき、戯曲自体が既に演劇的表現手法を存分に発揮できるように書かれており、更に演出がそれを何倍にも効果的に活かしていたので、とても見応えのある演劇作品となっていた。各セクションの人たちは、この戯曲と演出があったからこそ、職人魂を存分に発揮できたのではないだろうか。

 

透明な箱のような、開店する舞台装置。そこに散りばめられた無数の段ボールのような箱。この二つによって、時代や空間がリズミカルにスムーズにどんどん変わっていく。

舞台後方に設置されたU字型のスクリーンに投影される映像は、箱のような舞台を船に見せたり、高層ビルの中に見せたり、外の空間に見せたりと様々に顔色を変えさせる。

音響は、ピアノ以外は効果音のみだった。この作品のために作曲されたという曲の数々はもちろん目の前で繰り広げられている芝居を格上げしていたし、時にはピアノの旋律が芝居を引っ張っていたようにすら思う。それはピアノが生でそこにあって、役者たちの呼吸を読んでいたからこそできることなのではないのだろうか。

それらの真ん中にいる役者たちは、三人が三人ともとんでもない実力者で、そのような人たちがお互いに預けあって楽しみながら芝居をしていた。上手い人たちが楽しみながら演技をしていたら、そんなものは見てしまうに決まっている。遊び心のオンパレード。それをまとめあげた演出の視点も細部までいきわたっていて良かった。

サム・メンデスという人は、自分の中の美学が完全に確立されている人なのではないだろうか。のっぴきならないほどのこだわりを、全編通して感じ続けていた。

 

 

職人と職人のマリアージュを楽しんだ作品だった。

これをやりたいか、これを創りたいかといわれると、個人的に答えはノーであるけれど…

 

2020.2