徒然

映画や演劇をみるひと

あの出来事 新国立劇場 シリーズことぜんvol.2

 

『あの出来事』

新国立劇場 シリーズことぜんvol.2

作:デイヴィッド・グレッグ

演出:瀬戸山美咲

出演:南果歩小久保寿人

 

新国立劇場の”シリーズことぜん”の第二作目。

「ことぜん」とは「個と全」という意味で、この秋新国立劇場の小劇場で上演される三作品を通して、このテーマをもとに考え、創作することを目的とした新しい試みである。

第一作目の『どん底』は見逃してしまったが、第三作の『タージマハルの衛兵』はすでに予約してあったので、どうせなら第二作も見ようと観劇を決めた。

 

 

 あらすじ

2011年、ノルウェーウトヤ島で実際に起きた、青少年による銃乱射事件をモチーフに描かれたフィクション。

地方の合唱団の指導者である女性・クレアは銃乱射事件の生存者であるが、その事件により心に深く傷を負った。しかし次第に「彼があんな事件を起こした理由を知らなければ、憎むこともできない」と考えるようになり、少年の銃乱射事件を起こさなければならなかった原因を突き止めるため、あの手この手で彼個人の人間性を知ろうとする。最終的に彼女はその少年と対面することとなるが、二人の間にはどのような対話が生まれるのか…

 

 

出演者は男女二人。しかし他に合唱団員として三十名ほどが出演し、時折合唱団員として関わったり歌ったり、モチーフとして歌ったりなどして、劇全体に色を付けていく。

女性は劇全体を通してクレアという女性を演じる。

犯人の少年を含め、その他クレアが出会う様々な人々を、一人の男性が演じる。

その戯曲構造により、観客が自ずとクレアに移入しながらその劇を目にすることとなるので、クレアと共に旅をしている感覚になる。

 

世間からただの頭のおかしい悪者として扱われている犯人に対して、クレアは「彼は精神異常者なの?それとも本当に悪者なの?」と疑問をもち、「精神異常者なら不可抗力で終わる。でも”悪者”なのだとしたら、その原因を正しく知れば赦せるかもしれない」と彼に傾倒し、彼を知りたい一心で、彼の精神を築き上げた人々と面会していく。

彼のことを知れば知るほど、彼女は自分と世間との彼に対する温度差に気付いていく。それでも「わたしは彼を赦せるはず、赦したい」という執着ともとれる感情で突っ走っていく。

しかし”あるタイミング”(これについては後述)で、彼女は結局自分が彼のことを心底憎んでいることに気付き、彼を毒殺する気持ちを持って収容所にいる彼に面会しに行く。しかしそこで彼と話していると、あまりにも彼の思想が自分の予想や理想と異なったため、何一つ彼に近づいていなかったことに気付き絶望し、結局殺すこともできずに物語は終わる。

 

 

 理解できない人間に対して近づこうとする者、理解できないと突っぱねる者、理解しようとしてあきらめた者、不干渉な者…

そして、理解できない行動に出た人間に対して、個人を原因と考えるか、世間=社会を原因と考えるか、人間を原因と考えるか…

 

自分の守りたい生活がある者と、真実を知りたい者と、そもそもどうでもいい者の間には大きな隔たりがある。しかしそのすべての人間が、同じ”社会”を構成する”個人”である。

クレアは”個人”であるが、個人として個人を知りたいという気持ちで始めた旅で、”個人”と”社会”との隔たりをも実感していく。

この隔たりを描くことによって、この劇は、”個人”として”社会”に生きるすべての人に0か100では終わらせない問題を投げかける。

 

 

しかし残念だったのが、この戯曲の構成を無駄にしている演出と演者である。

まず演者に関して。

今回の構成ではどんどん高まっていくクレアの緊張感が重要なのにもかかわらず、南さんと小久保さんは自分のやりたいことだけをやっていて、お互いに影響しあっていないため、緊張感が何も生まれない。なので戯曲の持つ積み重ねがうまく表現されず、重要な場面でのクレアの行動が唐突に思えたりした。この重要な場面というのが前述した”あるタイミング”なのだが、ここが分からなかったためにもうその後はちんぷんかんぷんだ。これは戯曲が望んでいた上演のされ方ではなかったように思う。

 

では演出は、その役者のやりとりのちぐはぐさを修正せず、どこに視点を置き、何を大事に演出していたのか。

それが理解できたらまだ演者の芝居に対してここまでは思わなかったかもしれない。

だが理解できなかったのだ!ジエンド。詰み!

合唱団の配置の仕方ひとつとっても、単なる傍観者としてそこに立たせたいのか、様々なバックグラウンドを持つ社会の人々として立たせたいのか、はっきりしない。きっと後者を表現したいんだろうけれど、それにしては居所や干渉の仕方が中途半端だ。

時空の飛ばし方、緊張感の表し方も、紋切り型に頼っただけという印象でこだわりを感じない。 

ここは小さくクローズアップして見させたい、ここは大まかにみてほしい、ということがもう少しはっきりしているともっと物語が見やすくなるように思う。

 

戯曲が素晴らしい構成と内容だと感じた分、あの程度の作品に落ち着いてしまったところを見ると、どのように稽古が進んでいたのか気になる演劇であった。

 

 

 2019.10.